10年目の福島-栗林隆・志津野雷(後編)

何度目かの「YATAI TRIP」ネパールから帰国した翌日、東日本大震災が起きた。二人はすぐに、六ケ所村や福島の様子を確かめに向った。以後、現在に至るまで定期的に通って見えた風景や旅の経験が、それぞれの作品、活動に強い影響を与える。

2021/元気炉/栗林隆

後編:ネガティブな問題を、いかにポジティブに表現できるか

■ 東日本大震災

震災直後の津波の被害、その後の除染作業で積み上がる膨大なフレコンバッグ。福島に通い続ける二人に見えたものは、人の一生どころではない長い長い時間をかけても自然には戻せない人間の手に余りあるもの、人間の存在自体を考えざるをえない風景だった。半減期が30年以上の放射性物質を含んだ土を、3-5年しかもたないフレコンバッグに積め込み、放置に近い状態で置いておくしかできない状況が何年も続いていた。(フレコンバッグは、2015年から少しずつ移動され、2021年現在、8割が中間貯蔵施設に移動されている。)それでも複雑に絡み合った人間社会は、原発を止めることはできない。その衝撃は、それぞれの作品、活動に色濃く映し出されていく。

2015年 福島県富岡駅前

■ 問題に対して警鐘を鳴らすだけでない方法でアートをやろう

栗林は、3.11以降、黒いフレコンバッグや原子炉をモチーフに作品を精力的に発表する。代表的なインスタレーションは Vortex(2015)だろう。フレコンバッグを積上げた暗室の中に美しいガラスのシャンデリアが吊るされているものだ。神々しささえ湛えるシャンデリアは、原子炉の形状がガラスの文字で象られている。その文字は、アメリカの原子爆弾開発のきっかけのひとつとなったことで知られるアインシュタインからフランクリン・ルーズベルト大統領宛に送られた“アインシュタインの手紙”だ。

栗林隆 / Vortex 2015: Letter From Einstein / 2015 / スパイラルガーデン、青山、東京
栗林隆 / CAN NOT SEE DO NOT SEE DO NOT WANT TO SEE PRAY / 2017 / ark gallery / Yogyakarta, Indonesia

そして、10年目の今年2021年に「元気炉」を発表した。福島第一原発で使用されていた「GEマークⅠ型」原子炉を模した作品の中に濃密なハーブの香りのスチームを満たし、鑑賞者は全身でそれを浴びるというものだ。簡単に言ってしまうと、原子炉の形をした薬草スチームサウナである。

元気炉 : First machine No. Zero / 2021 / 下山芸術の森発電所美術館
元気炉 内部

世界が置かれている状況に対してアートがどんな役割をもてるのか? エネルギー問題の1番のエネルギーは何かと考えたとき、それは人間であり、人間の幸せなエネルギーと波動であり、喜びであることに辿り着いたという。人間が『元気になる』のが1番のテーマなのではないかと。

■ 美しさを知れば、もう汚す気にならない

志津野は、2016年 写真集「ON THE WATER」を刊行した。この地球も、人間も、ほぼ水でできている。「温暖化・環境問題・核問題」とかの前に、そういう水の大切さの意識の上で活動しようと呼びかける。ON THE WATERの ONには、そういう意識の上で、との意図が込められている。

南インドケラーラ ©Rai Shizuno
カリフォルニア ロングビーチ ©Rai Shizuno
長野 立山連峰 Ⓒ Rai Shizuno
西インド ラジャスターン Ⓒ Rai Shizuno

そして、カメラマンとして世界を旅する中で納めてきた映像を、終わりなきロードムービー「Play with the Earth」として発表し始めた。放射能のように、美しさの裏にある見えない「影」がある。それでも、汚す気にならないほどの美しさを知り、今ある場所を皆で楽しくしていこうよ、という姿勢で作ったという。

©Rai Shizuno

福島に通い続けた10年の歳月は、彼らの姿勢を、反対・批判から警鐘へ、そして更にもう一歩踏み込み、ポジティブに人々を誘う表現へと変えていった。だから彼らは個人の表現だけではなく、チームでも活動する。

■ 世界のどこでも生きていける。そんな船みたいなチーム「CINEMA CARAVAN」

CINEMA CARAVANは、旅する移動式の映画館だ。前編で紹介した「MOVEMENT TOUR」「逗子海岸映画祭」「YATAI TRIP」と同じく「旅」によって、それぞれの土地の人と空間と時間を共有する。言い換えれば、大がかりな「YATAI」かもしれない。海辺で、豪雪の中で、山中で、都心で、外国でスクリーンを拡げ、音楽を奏で、土地の食事を楽しむ。

2012年 静岡県 静波
2013年 広島県 生口島
2012年 北海道 夕張国際映画祭
2013年 東京国際映画祭
2016年 オランダ sonsbeek
2018年 神奈川県 城ヶ島

この大がかりな装置は全て手作りだ。その土地に合わせて、大工、料理人、ミュージシャン、アーティストなどの仲間と、土地の人々が集い一緒に作り上げていく。実は、そこに流す映画は何でもいいという。この場所を作り、楽しみ、知恵を分け合い、ここで出会う人たちと、この時代を生きる術を学ぶための活動だ。

逗子海岸映画祭 準備風景。インドネシア、バスクから仲間たちが集い、共に場を作る。

栗林や志津野の活動の根底にあるのは、世間一般の常識や情報に対する懐疑だ。自分が体験したことが自分にとっての真実、という姿勢の延長線上に「旅」がある。現地の人、現地の風景、現地の匂いの中で、持っていた常識や情報を確かめ、修正していくプロセスの旅である。それが時と場合により「アートプロジェクト」と呼ばれることもある。

ユヴァル・ノア・ハラリによれば、他の動物になく、人間だけが持っている特性の一つが「認知」だという。(※1) 人類は、自分が体験していない情報、虚構を真実と信じる(認知する)力によって、他の生物を圧倒する社会を形成してきた。神や会社や国という虚構(概念)を本当に存在するものとして認識する力が、人間を人間たらしめているのと同時に、私たちが直面する現代社会のあらゆる問題、自然界では見られない人間だけが引き起こす破壊の起因でもある。

彼らの「旅」は、認知動物である人間の本質を突くものだ。みんなが信じている情報を疑い、「旅」によって修正する。その旅の過程を人と共有し、旅で得た体験を作品として世に送り出すことで新しい「認知」を作っていく。そして、新しい認知を共有する方途もまた「旅」なのだ。

(文:小平悦子)

※1「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」、河出書房新社、 2016、

10年目の福島-前編:自分の体験が自分の真実-情報を再構築する「旅」